雑味

オジサン達の「昔はよかった」的な発言はだいたいイラッとするものだが我慢して読んでいくといくつかの傾向があるような気がする。

 

中でも “昔のメディアはもっと雑味があった” みたいな発言が目についた。 

 

【例①】

赤寺家(@akadera):好きなモンだけ読みたいという我侭が先行し、雑誌を支えるキモチがないんだよ。雑誌事態に支えられるモノが無くなったというのが一番の要因。最近の漫画は全部内容一緒だからな。(2010年 10月13日13時22分21秒のツイート)

赤寺家(@akadera):今の雑誌はファンアート集合体なんだよ 好きでもないヤツが見たらウザイ事極まりない。興味を引くには害毒でなければならない。毎週、クソ政治家が首吊りする漫画とか毎週、女子高生が社会悪を絞殺する漫画とか そんなんじゃねーと興味はでねぇんだよ(2010年 10月13日13時27分54秒のツイート)

 

【例②】

高橋ヨシキ:誰もが予定調和しか求めなくなっている。「泣ける」という評判の映画を観に行って「本当に泣けた」と満足して帰る、という気が狂った状況には断固意義を唱えたい。(中略)

中原昌也:昔だったら、三本立ての映画を観に行くと、自分が観たい映画じゃない映画も観ることによって、それが何かの経験になったりしたわけじゃないですか。

高橋:好きじゃないにしても、決定的な影響を受けたりね。

中原:そういうことがみんなあったわけでしょ?

更科修一郎名画座に行ったら『徳川セックス禁止令』の同時上映がなぜか石井輝男の『徳川女刑罰史』だったり(笑)。

中原:そういうことから面白いことが生まれるはずなのに。身のまわりを自分の好きなものだけで固めて、それで何とかなってしまう状況は耐えられないし、本当に嫌いですね。単なる感情論でしかないけど、それで世の中が面白くはならないもん。

高橋:今はひとつの映画なり小説なりの中に自分が好きじゃない要素が入ってくるだけで観客や読者に拒まれるから。

更科:作品を「教養」じゃなくて「ツール」として捉えてますね。「泣きたいときはこのアニメ」、「オナニーする時はこのゲーム」、みたいな。作品が総合薬ではなくてサプリメント化していると言いますか。

嫌オタク流』(2006)

 

【例③】 

菊池通隆:僕らの場合って「この作品が好きだ」ってあるじゃないですか。良い部分も悪い部分があっても。今の若い子って「好きだ」より「これはいい」「これは悪い」が目につくような気がします。

ー今考えると80年代のOVAは1万円とかしたわけで・・・。(中略)ファンもTVでは観られないクオリティのものがOVAで観られるっていう期待がありましたし、買うにあたってはそれなりの覚悟というか、愛がないといけなかった。

平野俊弘:内容的にもね、TVでは観られないものばっかりでしたからね。

新井淳:マニアがコマ送りして観るようになって、遊びを発見したりして。画もどんどん濃くしていって。1コマ小ネタみたいなものも入れてみたり。『マシンロボ』のスタジオCAMの回なんて「私リカちゃん」とか意味のわかんないことを描いたり。

ー今、ああいう遊びはもういっさいないですよね。

平野:ないですね。

菊池:というか、今は演出が許さない。

平野:許さないね。

新井:局も。サブリミナルってことになっちゃうといけないし。

『いまだから語れる80年代アニメ秘話~スーパーロボットの時代~』(2012)

 

【例④】

あさのまさひこ:あと、超時空シリーズでぼくが好きなところは、そうしたマーチャンダイジングの構造や作品本編自体が猛烈な勢いで奇形化していくところなんですよ。最初のマクロスはいろいろな意味で本当によくできていたじゃないですか。作画が猛烈にひどい回とかに目をつむれば。でも、その次のオーガスがいきなり恐竜的進化なんです。メカデザインとして確かに進化はしているんだけど、進化の方向が「そっちじゃマズイだろ~っ!」という。

北澤匡嗣:要は、オーガスは重機動メカ系なんですよね。マーチャンダイジングとして成功する進化じゃなくて、デザインとして尖ってはいるけれど先細るほうの進化。

あさの:で、3作目のサザンクロスになると、「もう、何がなんだか・・・」というところまで一気に行ってしまう。そのあたりがキュート(笑)なんですよね、「時代を象徴していたなあ」という感じで。

月刊モデルグラフィックス』2010年6月号 

 

 

正直僕も、自分の好きなものしか周りにないような状況は嫌だ。